生活に欠かせなかった草地を維持する野焼き

木曽町開田高原での野焼き 野焼きは、草地を維持するために、早春、前年の枯れ草と樹木の実生を焼き払うために行われます。

江戸時代の農家には、田畑の堆肥用や牛馬の餌用に大量の秣が必要でした。特に冬用の干草は重要で、各地で良い干草を生産するために野焼きが行われていました。馬産地であった木曽地域には、明治以降、草地の森林化をすすめるため国や県が火入れ禁止策をとったのに対し、住民自らが火入れ地の植生調査を行い、火入れを認めさせた歴史もあります。

現在の野焼き (長野県内)

 戦後、農業が機械化すると牛馬は減少し、野焼きも次第に衰退しました。草地はそのまま森林化したり植林地となり、一部の草地景観は観光資源として見直されるようになりました。現在は、農地管理の一環として行うもの(開田高原)と、観光地の景観保全(菅平高原や霧ヶ峰高原)や屋根用茅の採取(小谷村牧の入)等のために行うものがあります(図1)。

共同作業による野焼きの方法

 共同で行う野焼きの方法はどこもよく似ています。まず、対象とする草地の上端を風下からある一定の幅で焼き切り、次に左右を上から下へと焼き、最後に下端の両端から火を入れ、最終的に火が真ん中で消えるようにします(図2)。

 焼き切る幅は、風の強さや傾斜、草の長さによって異なり、経験知によって判断されます。メンバーは毎年ほぼ同じで、お互いに声を掛け合いながら行います。野焼きには延焼を防ぐための細やかな配慮がさまざまになされています。

野焼きの歴史

 最近、県土の16%を占める黒ボク土に草の微細な炭が多量に含まれること、一部が縄文時代に形成されていることが明らかになり、野焼きの起源が縄文時代に遡る可能性があることがわかってきました。古代の牧の設置、中世の信濃武士団の活躍などと野焼きの関連も考えられています。

生き物への影響

 草原には特有の生き物たちが暮らします。近代以降、国内では草原が減少したため、野焼きが続けられてきた草地は、オミナエシやノビタキ等の草原性生物の貴重な生育・生息地となっています。

オミナエシ

ノビタキ

 火を入れると地表面は高温になりますが、地中1㎝は40℃以下です。そのため春先、地中で暮らしているネズミ類等は火の影響を受けません。植物へは①明るくなる、②灰が栄養素になる、③地表が黒化し温まる等により発芽・成長を促す効果が期待されます。草本類では火に強いススキ等イネ科草本が増加し、木本類は減少しますが樹皮のコルク質が厚いカシワ等は残りやすいといわれています。

野焼きの今後

 近年、作業維持の難しさや観光客の苦情など、野焼きを取り巻く環境は厳しくなっています。信州の野焼きの長い歴史とそれによって守られてきた多様な生き物たちの今後を見守っていくことが大切です。

(浦山佳恵,2018,『みどりのこえ』No.57,p.5「信州の野焼き」を元に再構成)