夏の霧ヶ峰では、八島ヶ原湿原の周囲やビーナスライン沿線、車山高原スキー場などで、多くの花々が咲いているのを見ることができます。ところが注意してみると、花の多い場所は周囲を柵で囲われており、そのすぐ近くでも柵の外側では花が少ないことがわかります。このようなちがいが生まれるのは、柵がシカの侵入を防いでいるためです。

 シカはなわばりをもたずに群れをつくり、いろいろな植物を食べながらどんどん子どもを産み、生息域を広げる性質をもっています。そのためシカが侵入して数を増やした場所では、植物の多様性が低下することが知られています。シカの増加は全国で農地や森林に被害をもたらして問題になっていますが、日本有数の半自然草原が広がる霧ヶ峰にも近年その被害が本格的に現れるようになりました。

 霧ヶ峰でシカによる花の食害が目立つようになったのは、2000年代の後半からとされています。それよりも前には、ニッコウキスゲをはじめとした花々がゆるやかに起伏する草原を覆うように咲く風景を見ることができました。その後、シカによる花の食害が広がって、柵の設置がおこなわれるようになりました。現在、霧ヶ峰にある防鹿柵は、どれも2007年以降に設置されたものです。柵の外側でよくさがせば、地面についたシカの足跡を見つけることができます。シカの鳴き声を聞いたり、その姿を目にしたりするチャンスもあります。

 防鹿柵を設置すると、草原の生物多様性を守る上で大きな効果があることが、霧ヶ峰での調査からわかっています。柵の内側と外側を比較すると、植物の種数や花の数、花を訪れるチョウとマルハナバチの種数と個体数が、どれも内側の方が外側よりも多いことがわかりました。花の密度で見ると、ニッコウキスゲは約300倍、マツムシソウは約100倍の差があります。一方、レンゲツツジのように、柵の内外で花の数にほとんど差がない植物があることもわかっています。シカの好みが、こうしたちがいをもたらしているのかもしれません。