霧ヶ峰を訪れると、日本の山ではめずらしく、広々とした草原の景観が視界に飛び込んできます。この草原は、夏に色とりどりの花を咲かせる植物やその花を訪れる昆虫などが織りなす生物多様性の宝庫でもあります。これに対し、霧ヶ峰の周囲の山々の多くは森林に覆われています。なぜこのように対照的な景観が生まれ、霧ヶ峰には草原があるのでしょうか。

 そのなぞを解く鍵は、霧ヶ峰の歴史にあります。霧ヶ峰の草原は、火入れや草刈りなどの人間活動によって維持されてきた半自然草原です。半自然草原は、自然草原(乾燥・寒冷などの厳しい環境条件によって維持される)、人工草地(人が草を植えて育てている)の双方と対比されるタイプの草原です。火入れ、草刈りのほか、放牧が半自然草原を維持する活動です。

 霧ヶ峰の草原は、日本に残る大規模な半自然草原のひとつです。日本の半自然草原に生息する植物や昆虫の多くは、ユーラシア東部の温帯草原で見られるものと共通性が高いことが知られています。このことから、日本の半自然草原の生物は、気候が寒冷化、乾燥化し、海面が低下した氷期に、大陸の温帯草原から広がってきたものが多いと考えられています。日本アルプスなどの高山の自然草原(お花畑)に生育する植物は、寒帯の植物であるため、半自然草原の植物とは種類や由来が異なります。

 

 その後、約1万年前に最終氷期がおわり、温暖で湿潤な気候に変わりました。それとともに、植生は新しい温暖な気候条件に適した森林へと移り変わるようになりました。この気候の下で草原を保つ鍵となったのが、人間による火入れと考えられています。このころ、日本列島の人間活動は、旧石器時代から縄文時代へとそのステージを変えました。

 古い時代の火入れについて知る手がかりとなるのが、黒ボク土とよばれる黒い草原土壌です。黒ボク土には草が燃えてできた微細な炭が多量に含まれており、人間の火入れがこの土壌の生成にかかわっていると考えられています。黒ボク土は日本の国土の約17%を占めています。霧ヶ峰から八ヶ岳山麓にかけての一帯も黒ボク土に広く覆われています。霧ヶ峰のある地点では約5800年前から黒ボク土の生成がはじまり、以後連続して火入れがつづけられてきたことがわかっています。縄文人が火入れをした目的はわかっていませんが、シカなどを獲物とした狩猟にかかわる活動であった可能性があります。

 日本では5世紀頃から牛馬の組織的な放牧がはじまり、また江戸時代には田畑の肥料として村落周辺の山野からさかんに採草がおこなわれていました。そうした放牧地、採草地を維持するためにも火入れがおこなわれました。そうした草原の草は、屋根の茅、薬草、生け花などに使われ、和歌にも詠われました。このように草を利用する暮らしや文化があったために半自然草原が保たれてきたわけです。霧ヶ峰の半自然草原も、そうした採草地のひとつとして維持されてきました。

 黒ボク土は日本の国土の約17%を占めていますが、半自然草原は現在、国土の約1%にすぎません。草を利用する暮らしや文化が衰退し、産業社会がうみだすモノやエネルギーに依存する生活に変わったことがこの縮小の原因です。その結果、半自然草原の植物や昆虫、鳥のなかに、生息地を失い、絶滅のおそれのある状況に追い込まれた種が目立つようになりました。そうした中で、霧ヶ峰は草原性の植物やチョウ、マルハナバチ、鳥などが生き残る貴重な場所となっており、絶滅のおそれのある植物が約70種生育しています。

 このように、霧ヶ峰の半自然草原とその生物多様性は、縄文時代からの人と自然とのかかわりによって維持されてきた「歴史の遺産」ともいえるものです。しかし近年では、火入れがおこなわれなくなり、またシカが増えて花々を食害するなどの問題が生じています。この貴重な財産を将来に残すため、どのように半自然草原を維持・管理していくのがよいのか、知恵を集めてこれからの道を見いだしていかなくてはなりません。