旧石器時代から続く 霧ヶ峰の歴史

長野県のほぼ中央、標高1,925mの車山の周辺は霧ヶ峰と呼ばれ、標高約1500m以上に約1400haの草原が広がっています。旧石器~縄文時代の遺跡が多数見つかるなど、古くから人が利用してきました。

霧ヶ峰の地形・地質

火山活動今から約100万年前の活発な火山活動によって、霧ヶ峰の土台が出来たと考えられています。そこに、木曽御嶽山や乗鞍岳の火山活動による火山灰が積もりローム層を形成しました。その上を黒ボク土が覆っており、これが霧ヶ峰の特徴となっています。また1万年程前に氷河期が終わると高層湿原が成長しました。3つの高層湿原(八島ヶ原・車山・踊場)は国の天然記念物です。

 

縄文時代の霧ヶ峰

縄文時代縄文時代、人々は、霧ヶ峰で野に火を放ち、黒曜石の採掘と石器の加工を行っていました。和田峠から霧ヶ峰にかけて産出する黒曜石は良質で、北海道や青森まで渡っていたことが知られています。また麓の茅野市で発掘された2体の土偶(縄文のビーナス、仮面の女神)は国宝。霧ヶ峰を含む諏訪湖から八ヶ岳山麓にかけて、縄文の遺跡が数多く発見されています。

 

旧御射山社(もとみさやましゃ)

旧御射山社八島ヶ原湿原の南側に、小さな祠と湧水があります。かつての諏訪大社下社の御射山祭場の跡、旧御射山社です。鎌倉時代以降に祭事の規模が大きくなり、中央祭場の周囲三方の斜面が階段状にされ、幕府の重臣をはじめ、甲州侍、信濃侍の桟敷がつくられました。ここは、新田二郎の小説「霧の子孫たち」に描かれた自然保護運動の記念碑的場所でもあります。