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生物多様性ホットスポット2( 貴重な 半自然草原)

生物多様性ホットスポット2(貴重な半自然草原)

比較的温暖で湿潤な気候にめぐまれた日本では、植生を放置すると多くの場所で森林が成立します。しかし歴史的には、人里周辺をふくめてかなり広い範囲に草原が広がっていました。その大部分は、火入れ・採草・放牧などの人間活動によって維持される半自然草原でした。半自然草原は、高山や河畔などのきびしい環境に自然に維持される自然草原、ひとが草を植えて育てている人工草地と対比される用語です。半自然草原を維持するには、森林化を防ぐため適度に人手をくわえつづけなければなりませんが、そこに生える植物は自然のものです。

日本の半自然草原の植物の多くは、ユーラシア大陸東部の温帯草原にも分布しています。このことから、これらの植物の多くは氷期に分布を広げ、後氷期には河川の氾濫や野焼きをはじめとした人間による環境の適度なかく乱を通じて、その生息環境が保たれてきたと考られています。同様の来歴をもつものが、チョウをはじめとした昆虫類の草原性の種にもあると考えられています。
半自然草原を維持する人間活動は、日本列島では縄文時代にさかのぼります。
その歴史をとくカギのひとつが、黒ボク土とよばれる黒い草原土壌です。

黒ボク土には草が燃えてできた微細な炭の粒子がふくまれており、黒ボク土の生成には人間による野焼きがかかわっていると最近考えられるようになってきました。黒ボク土の生成のはじまりは、測定された多くの場所で数千年前の縄文時代であることがわかっています。5世紀頃から牛馬の本格的な放牧がはじまり、近世には肥料としての草の利用大きく広がりました。このような目的のためにも、野焼きがおこなわれました。イネ科の草は屋根をふくカヤにもつかわれました。野の花は秋の七草をはじめとして多くの和歌に詠われ、盆花などとして伝統行事
にもつかわれました。

しかし近代化がはじまり、日本が農耕社会から産業社会へと移行するのにともなって、草原や草の利用は衰退しました。そのため半自然草原は過去1世紀のあいだに大きく減少しました。黒ボク土は日本の国土の約17%を占めており、少なくともこれだけの広さの長くつづいた草原があったと考えられますが、20世紀末には半自然草原の面積が国土の約1%まで減りました。その結果、草原性の植物や昆虫、鳥のなかにも絶滅のおそれのある種がいくつも数えられるようになっています。
信州(長野県)には縄文遺跡が多く、古代には馬の放牧地が多く置かれ、近世には草山が多かったことが知られています。こうしたことから、この地域には歴史の長い半自然草原が多かったと考えられます。霧ヶ峰、菅平、開田高原などには今でも半自然草原が残っており、貴重な生物多様性ホットスポットとなっています。